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【03 会員情報】

2012-01-24

“女たちはどう乗り越え、どう立ち上がったのか“ 「食の学校」復興セミナー報告

2012117日(火)、「食の学校」復興セミナー
“女たちはどう乗り越え、どう立ち上がったのか“ に参加してきました

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東京秋葉原の貝印本社、Kai Houseというおしゃれなコミュニティースペースにて、お話を聞きました。


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講師は講演順にRadixの会でもおなじみの

大木代吉本店の大木洋子さん
水山養殖場の畠山寿子さん
八木澤商店の河野光枝さん

どなたも老舗を陰で支える名物女将さんです。
女たちのしなやかな底力、さあ、お聞きしましょう。


大木洋子さん

clip_image002[8]大木さんとPC操作をされたお嬢さん

福島県矢吹町という小さな町は津波の被害こそ無かったが、地震の揺れが大きく農業用パイプラインが崩れ水の供給復旧のメドが立たなかった。
原発からの避難者を多く受け入れたが、風評被害も大きかった。にもかかわらず、東電からの補償金は対象外。

まだまだ大変な日々のようだ。

さて、3月11日当日。

大木さんはご主人とお二人車でイベント会場へ移動中。
信号待ちの時、急に空が真っ暗になり車が縦横に揺れ、頭が天井にぶつかる。
道路が波打ち、信号機が倒れそうになり、歩いていた人々はみな地面にひれ伏していた。
恐怖で体がガタガタ震えた。

車で公園に避難したが、余震が続き携帯は繋がらず情報が無くパニック状態に陥る。

その後自宅へ向かうが、国道はすごい渋滞、家がつぶれ火災がおき道路が陥没しているため、迂回して裏道を通り自宅へ。

でも、怖くて真っ先に自宅へ行けず、事務所から見届ける。
やっと、夜八時ごろ自宅へ。

門灯が倒れ蔵がつぶれていた。全身の力がいっぺんに抜けてしまった。

社員に聞くと、ガラスの割れる音、建物の崩れる音、まるでバクダンが落ちた様な音で暫くは耳がおかしくなっていた。
土煙で前も見えない。女子社員は無我夢中で逃げるが、余りの惨状に体が震え地面に泣き伏してしまったとか。

翌日、静まり返った中で、絞りを待つのみだった酵母のプツプツという醗酵する音が、脳裏に残る。

しばらくはお嬢さんの家で過ごし、ライフラインの復旧もままならない中、地下水で炊き出しをしながら生活。一面の瓦礫の山で復旧作業を続けたが、社員の中には「こんな危険な所で作業させるんですか!」という者もいた。

そんな中、二人一組で溢れたもろみをすくい、瓦礫を袋詰めし、残ったお酒を移し、全員ヘルメットをかぶって頑張った。

私の立場で社員にできる事は何か?

先ずは暖かいものを作り社員に食べさせ元気になってもらう。

どんな状況にあっても、食べる事は生きる事、食べ物のエネルギーをもらって生きていく。
物は無いけれど何とか続けてきた。

多くの方の支援と応援を心から感謝している。

現在は、更地に車や資材を置き、この冬何とか酒作りを再開。
建物は春以降順次修復していく予定。社員の安全を図りなんとか作業している。

自宅はガラスの無い部屋など、地震の度にギシギシ音がして不安だが、修復のメドが立たない。先ずは蔵を最優先。

福島県は地震被害の他に原発被害もある。
風評被害が大きく福島県産を諦め山形・秋田県産の米を使用。
仕込み水は地下水だが製造工程の中で何度も検査をしながら安全確認している。

福島県内まだまだ復興には時間がかかりそう。
矢吹町でも75%の家屋が被害を受けている。

また、大型スーパー進出で昔ながらの商店が寂れてきた事に、今回の震災が拍車をかけているのがとても残念。町の復興と自社の復興と一緒になって頑張りたい。
その為にも地域の復興の手助けをしている。

今回の震災のストレスで、ジンマシン、不整脈、胸痛・・・等に悩まされ後ろ向きになる事もあったが、皆に支えられ前に進めた。人のつながりのありがたさに、前に進める事に感謝。

これからは、職場環境・確かな品質・新商品の開発を考えていこう。

物静かな大木さんが淡々と震災当日の様子を語られるのを聞き、瞬時に崩壊していった家や蔵や町を目の当りにしガタガタと震えながら立ちすくむ様子、 今更ながらに恐ろしい・・・
そんな中、皆の為にまず暖かいものを作る、大きな屋台骨を支える細い大木さんの底力。
体調不良にも負けず社員の為、会社の為、町の為、福島の為に頑張る姿。

やっぱり凄い!

美味しいお酒、どんどん作ってくださいね。

私はあまりお酒は頂きませんが、“こんにちは料理酒”のファンです。

味ももちろんですが、あのラベルもいいですね。
会社も町も福島も元気になって、美味しいもの、良いもの、ガンガン復活させてください!


【畠山寿子さん】

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       (写真上:畠山さんとPC操作のお嬢さん)

地震のその時は外出中。
地震の瞬間めまいかと思ったが、この大きさなら津波は来る!と、思った。
過去のチリ津波と比べまあまあの津波が来るだろうと思っていた。

信号も止まってしまったので、急いで猛スピードで車を飛ばし家に向かう。
普段からのスピード狂が功を奏した?!

途中の橋も峠も心配した崩れは無く家に帰り着く事が出来た。
干潟の水が通常引かない時間帯に引いていた。
その様子を確認して津波はどのぐらいか、と考えながら家に入る。

社員は皆帰っていたが一人だけ気仙沼の人がいてその人だけは、なかなか安否確認が出来なかった。
被災はどうあれ、一週間後その一人の社員の確認ができて本当に良かった。

家の裏山へ向かい藪をかきわけバラ道を逃げる時、向かいの山の半分が波でうまっていた。
52軒中44軒跡形もなく流され4人亡くなられた。
残った人の健康を考える事で頭が一杯。
我が家が避難所となる。

気仙沼方面は火災による黒い煙がたち、雪、みぞれが舞う中、車に分乗して一晩エンジンをかけて暖をとる。
翌日からはだるまストーブを探し出し、山から薪を探してきて暖をとった。

食事はまずうどんからスタート。
家にあった頂き物の残りの乾麺と営業用のいなりの皮で作った。
水は、沢から引いている水を拾ってきたホースを繋いで一端水槽に溜め、それをペットボトルで汲んで、煮沸しキッチンペーパーでろ過し、使っていた。
ご飯を炊き海苔で包み、冷蔵庫の中身を何でも煮て食べた。

3日目、消防団と防災関係の5~6人が救助に来てくれた。
お年寄りはその時連れて行ってもらった。

とにかく食べる事。次が仕事。
そしてこれからどうしよう・・・という順番で考えていた。
仕事は存続なるか?という状態だったが全国からボランティアが集まり大いに助けてもらった。

牡蠣のたねは、北海道から少し届き、石巻のたね屋で残っていたものと併せて、急いで海に下げた。

すると、海の生命力はすごい!
通常1年半かかるところが半年で大きくなった。

この勢いで早く回収していきたい。
被災者で違う仕事に就いていた人たちも一緒に作業している。

「もう少し状況が良くなって、もう少し暖かくなったら、皆さんいらしてください。
  皆さんで牡蠣パーティーでもやりましょう!」

実にお元気なお話の楽しい畠山さん。
震災で語り尽くせない経験をなさったのに、明るくお話して下さった。
やはり、女の底力は「食」でした。

沢の水をどれだけ苦労して煮炊きに使ったことか・・・
でもきっと、いつもお元気に声を掛けながら皆さんを引っ張っていかれたのでしょう。目に浮かぶ様です。

そんな浜の女たちの陰の図太い力が、豊かな海に流れ込み牡蠣を大きく育てているのでしょうね。

「森は海の恋人」運動の引き続きの推進も応援します。
フランスからルイ・ヴィトン氏も支援に見えたのですよね。

別件ですが、私も牡蠣オーナー制度に参加しています。
「元気になっていく皆さんと牡蠣」、楽しみです!


【河野光枝さん】

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左から、野呂食品の野呂さん、山本監査役と、河野さんと、親跡取締役

震災当日、お孫さんはインフルエンザでお嬢さんも体調不良。
河野さんは自宅でお孫さんたちと一緒に家に居た。
去年3月から常務の役を降りのんびりやっていたところだった。

グラグラと地震が来て、なまこ壁は崩れ、家の中はめちゃくちゃ。
冷蔵庫を始め全てのものが飛び出した。
今までに無い揺れ。これは普通ではない!

会社を見るとすでに社員がおばあちゃんを連れて逃げていたので、お孫さんとお嬢さんを連れて車で逃げる。
何も持たず一刻も早く渋滞に巻き込まれずに逃げよう!

とりあえず息子さんの家(8Mぐらいの高さがある、小学校の2Fぐらいの高さ)に逃げればいいかと向かったが、皆留守で鍵がない。
車で待機していたら、海から普通ではない津波が・・・

湧き水のある神社に逃げる。
津波怪獣に追いかけられている感じ。

工事現場の小屋があり皆が非難していた。
社員やお子さんたちは無事を確認できたが、着の身着のままだったので、寒いこと寒いこと!
カーテンを敷いて10人ぐらいで足を突っ込んで合わせながらごろ寝。
さすがに88歳のおばあちゃんは夜中に具合が悪くなりヘリコプターで救助してもらった。

避難所には、400人ぐらいが集まっていた。
そこで誰彼の安否情報を色々聞いた。

その内、人間とは不思議なもので「悲しみ」の感情が麻痺してきた。
心の中が無表情になる異常な状態。
「私はこんなに冷たい人間だったのか」と思ったぐらい。

台所で食材の確認をしたが、あっという間に食材も底をついてしまった。

地元のお年寄りの知恵で焚き火をしたり、木を削ってお箸を作ったり、被災を免れた人が赤ちゃん用の離乳食を作ってきてくれたり、逃げる事の出来た者同志助け合いながら過ごした。

一方、ご主人の河野さんは当日新幹線に乗車中。
上野に戻り駒込在住の妹さん宅へ非難し、テレビで被災映像を見ながら、「皆死んでしまったぁ・・・」と妹さんとオイオイ泣いた。
14日、やっと戻る事が出来たご主人に、河野さんは「いつまで帰ってこないのよ!」「何やってたのよ!」という気持ち。

分かるなぁ・・・怖くて不安で心配で堪らない日々、やっと生きている夫の顔を見たのですもの、安心と同時に文句も言いたくなりますよね。

お孫さんたちは東京や北海道に避難し、八木澤さんご夫婦・息子さん・社員の皆さんは自動車学校に仮会社を造り、陸前高田の支援物資を会社中継でデリバリーボランティア。

残った2台のトラックを使って1ヶ月ほど頑張る。

会社の全てのデータは流されて無かったものの、会計事務所に保存されたデータがあり、事なきを得た。
車の中で会計事務所から送られた先月のデータを基に給与計算をした。

一番先にめがねを作っておいて、ホントに良かった。

4月ごろからは会社再建を考えた。
若い社員のやる気が無ければもう再建は諦めよう・・・とも考えていたが、皆がやる気だったので手伝おうということになった。

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非難した神社へ続く石段と鳥居は津波で流されたが、若者たちが感謝の気持ちを込めて木や竹で修復した。


若者が頑張る事に口出しをしないように、河野さんは家族の事を考えようと思った。

避難先の一ノ関から戻ろう。
2年後には越前高田に家を建てよう!
がしかし、発表された復興計画を見ると家を再建するのには10年はかかるだろう。

それまで私は何をする?今の私に出来る事は?

夜になると真っ暗闇、子供たちは震災の夜暗闇の中逃げたトラウマがあり、暗闇を怖がる。
どうにか明かりを作りたい。
原発ではない代替エレルギーは無いか?考える。

ボタン電池をいれた小さなライトを紙の袋に包み木に吊るす。
その中に子供のメッセージを入れて点灯し三陸イルミネーションとして仮設住宅の入り口に飾った。

その後そのメッセージライトは横浜に送られ年越しをする。
子供達の心を癒す運動、もっと何が出来るだろう?考える。

また、地元の木を使いタイムカプセルとしてメッセージを書き、組み合わせて小さな集会所を造ったが、そこにカーテンを作らなければ。
被災者が助け合って私の出来ることは何か?考える。

陸前高田はまだまだ砂漠状態、その情景を見ながら、心の底から悲しみがこみ上げてくる。涙が出る。

まだまだ復興の入り口、真っ暗闇の夜と同じぐらいのものなのかも・・・

でも、八木澤商店の若い社員の皆さんの力、河野さんの何が出来るかいつも考え前に進もうという力、その素晴しい力があれば暗闇の砂漠にも溢れる光がしっかりと降り注がれます!

会社は息子さんたち若者に託し、復興の為、未来を担う子供達の為、女傑河野光枝さん、ど~んとそのパワーを見せてください。
ご主人とお二人でのこれからのご活躍を、ワクワクしながら応援していきます。

我がRadixの会でも絶大な信頼を得ている河野さんご夫婦のご活躍が、これからの復興を大きくリードすると思っています。

3人の肝っ玉母さんたちのお話をお聞きした後、美味しいワインとお酒とお料理のフリータイム―フータイム。

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野菜は大阪ナチュラルビズさん、骨付きハムはアーク牧場さん、パンは今昔工房さん、そして、大木代吉本店さんのお酒と、ワイン、ホントに全て美味しかったです。

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また、食の学校伺います。有意義なひと時でした。

ありがとうございました。

                                                                                     Radixの会事務局:松橋

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【03 会員情報】

2008-07-07

海よ~、俺の海よ~、大きなそのカジキよ~

水産食品ブログが始まって以来、初めての会員紹介です。
(※サボっていたわけでなく、現場におじゃまする機会がなかなかないのです。
  今回、眞城さんよりビッグなネタをご提供いただいたので早速掲載します)
  
さて今回ご紹介するのは、Radix理事でもあるアジアマリンの眞城社長です。
会社名からわかるように、マグロ・カツオなどの水産品・水産加工品はもちろん、高知県の幻の発酵茶「碁石茶」なども取り扱っています。
(さらに高知市の繁華街では、居酒屋「土佐の宴 ついでや。」も営業中!)
  
眞城さん、かつて短距離をはじめとする陸上5種の選手だったこともあり、見た目かなりがっしりとした体型をしています。
30代の現在も、ボーリングのスコアは200を越える、ゴルフもうまいなど、なかなかのスポーツマン。 
もちろんマリンスポーツでもダイビングの免許はもっているし、スポーツフィッシングもおてのもの。
つい先日も高知沖でメートル級のカジキマグロをつり上げたそうです。
  
まずは百聞は一見にしかず。
下記の写真を見て頂くのが一番でしょう!
   
俺も負けてはいないという猛者がいらっしゃれば、ぜひ写真とともにメールを送って下さい。
もちろん、海の魚や海獣だけでなく、熊でも猪でも、果てはツチノコでもかまいません。 
自慢の一品、いや一枚をぜひお待ちしています。
   
眞城さんより当日の感想をいただきました!
当日は朝5:00に出港~午前9:00まで流すがあたりなし・・・
かつお船を発見し数引きのかつおがあがっておりその周りをカツオドリが飛んでいた。
5本のルアー仕掛けの周りにも集まって来て、コンディションは最高潮!!
その時、真ん中の一番大きなリールが「ジャー!」とうねりを上げる・・・
船員みんなの胸が高鳴り「カジキだ!」と確信した。
ここからは共同作業。竿を持つ者、他の仕掛けをあげる者、船を操縦する者、ギャフをかける者
水面でしぶきを上げるカジキを見ながら、みんなの心が一致したその瞬間、約20分と言う短時間でその巨体は姿を現し、みなの手の中に納まった・・・
  
   
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カジキマグロ用の釣り竿とリール一式
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
   
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つり上げたカジキマグロ
(つり上げるまでの格闘、大変そう)
動画も見せて頂いたのですが、カジキマグロがジャンプするところはなかなかのものです。
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
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カジキマグロ全長写真
並んで写っているのが眞城さんです。
(でかい! さばくのも大変だったそうです)

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