農産畜産Blog

【02 畜産アンテナ】

2008-07-07

国産採卵鶏を守る緊急集会

7月4日、標題の緊急集会に参加した。場所は東京大手町JAホール。参加者は生産者、流通関係者、そして消費者など300名ほどもいただろうか。主催は卵鶏生産者、流通、生協。農水省生産局が後援し、家畜改良センターと全農が協賛。案内にもあったとおり、主催生産者として会田共同養鶏組合、秋川牧園、黒富士農場、常盤村養鶏農業協同組合が参画している。集会では国産採卵鶏の生産に携わる各方面からの報告のまとめとして、生産者と消費者の連携により純国産鶏を守り育て、日本の畜産・農業の復活に向け取り組む「集会宣言」を採択した。

国産採卵鶏を守ろう

集会は、冒頭実行委員代表として会田共同養鶏組合の中島学さんによる主旨説明で集会の意義が紐解かれ、家畜改良センター岡崎牧場から「国産鶏」の何ぞやが話された。今回の緊急集会の立場は要約すると2点に集約されよう……

nakajima.jpg


採卵養鶏業は国内自給率95%と自給率が高い上に、安定して低卵価を維持し続け、価格の優等生と言われてきたが、構造的には飼料のみならず種鶏のレベルを含め海外に依存してきたという実態がある。種鶏の自給率(国産種鶏による採卵鶏生産)は僅か6%であり、このほとんどは小規模の養鶏農家により支えられている。

これら農家が昨今の物価高騰により経営存続の危機、極めて深刻な状況にあり、このままま推移すれば養鶏農家と日本固有の国産種鶏が共倒れしかねない。日本の気候風土のなかで育まれた種をを保有することは食の自立を可能とすることであり、その緊急性を含め、消費者も含めた相互理解のもと、種の自給も含めた「純国産鶏」の維持拡大を働きかけるに至った。

テーマは“種からの自給”
……純国産鶏とは?

鶏の品種を養鶏農家が育成(自家採種?)することはない。報告に立った家畜改良センターの米田氏によると、種の自給率わずか6%の国産採卵鶏は(株)後藤孵卵場をはじめとする民間種鶏場や都道府県、家畜改良センターの3者によって育成されている品種だそうである。

kachiku.jpg

市場占有率94%を占める海外からの採卵鶏は、商系企業の主導によるインテグレーション戦略の中に組み入れられ、養鶏農家は飼料の供給とセットで、これら品種を受け入れてきた経緯がある。種鶏の供給元はアメリカとドイツの2国であり、これにより生産効率を専らとする効率優先の養鶏業が成立し、低卵価も維持しても来た。

この過程で1985年当時約12万戸いた国内の養鶏農家は20年を経た現在、国内生産量をほぼ維持しつつ、約3千戸にまで集約されたが、これは養鶏農家が大規模で集約的な生産を余儀なくされてきた結果でもある。こうした厳しい試練を経てきた養鶏農家は、低卵価に耐え国産の種鶏も支えつつ、可能な限りの経営効率化を進めて生き残った農家だ。

昨今の原油価格、飼料価格の劇的な高騰は、これら気鋭の養鶏農家の経営努力に大打撃を与えている。そして結果として、単なる価格問題を超え、種の存続の危機に至る可能性を孕み始めたのだ。

米田氏は資料をもとに、国産鶏は日本人の嗜好に合った「おいしさ」が特色であり、近年遜色のない生産性を備えてきたばかりか、種のトレーサビリティがはっきりしていることを強調する。外国鶏にはそれがないだけでなく、鳥インフルエンザなど不測の事態発生による輸入停止措置や、為替の変動など、無視できない不安定要因から、現在のシェアは偏りすぎ、安全保障の観点から危険、と唱える。

様々な努力と気づき、そして確信
……養鶏農家の現在

集会ではその後各地の養鶏農家からの報告となった。報告は日本人の食生活の一翼を担う卵が、単なる“価格の優等生”ではない視点から消費者との接点を生み出している事例であり、多くの参加者の共感を呼んだ。

noda.jpg

基調講演として岡山県倉敷の養鶏業、のだ初専務取締役の野田裕一朗氏が「MADE IN JAPANの底力」と題し、34歳養鶏屋の二代目としての“自分史”を自己紹介、現在進めている「たまごニコニコ大作戦」を汗ながらに語った。別名を「たまごかけごはん伝導師じょ兄」と自称する氏は、日本人の平均卵消費量330コを400コに、1日1個じゃなくて2個食べましょうと、思い立ち2007年日本縦断4749kmの消費拡大自転車旅を敢行したという。

お話は、卵をたくさん食べて消費者が健康になると喜び、消費拡大で養鶏業者が喜ぶ、そんなきっかけを生み出そうと行なった旅。様々な出会いが生まれ、卵が“物語”として語られて、作り手と食べ手を結び、結果として生産者を大切する“思い”の芽が育っていく。語られていったそんな経験が、暗に効率優先の生産消費だけではない国内養鶏業の大切さを伝えていた。

兵庫県豊岡市からは「美味しさへのこだわりと循環型農業経営」と題し、西垣養鶏場の西垣源正氏からの報告。国産の後藤もみじ一筋で1万羽の養鶏を、有機栽培の米生産と併せて進める小規模有畜複合での実践事例は、2006年3月に開店した卵かけごはんのお店「但熊」のお話だった。自慢のごはんに味噌汁とお漬物、そして卵はお好きなだけどうぞで350円の定食。回りからは商売にならんゾとも言われたが、現在は土日2時間の行列ができる大繁盛のお店となっているそうだ。

卵価市況の世界ではなく生みたての生卵、コメではなく炊きたてのごはん。その2つが「おいしさ」を軸に地域の小規模経営を生き生きと蘇らせている。消費者はスーパーに並ぶ卵を、価格と消費期限で恐る恐る手にするが、西垣氏のような、地域に根ざした消費のあり様は、本来の国産卵の生き方のヒントなのではないか。生産と消費の関係性を改めて問い直す“気づき”を生むお話だった。

行き着くところは国産
……究極の選択はやはり自給

生産において解決済みの問題などひとつもない。このことを養鶏の現場からひとつひとつ実証し、解決に取り組んできたのが、黒富士農場の向山茂徳さんだ。報告では、農場の自然環境や、地域の人々との繋がり、子どもたちが来て親しめ、学んで帰れる場所、そして何より、子どもたちが鶏に触れ、その温もりを感じられることが大切、とその基本姿勢をスライドをもとに話された。そのようなことが、これまでの様々な取り組み、試行錯誤によって支えられている。

mukoyama2.jpg

最初の取り組みは、環境にストレスがない養鶏農場の模索。その柱として水に取り組み、今に至るBMW技術の実地への応用を模索構築してきた歴史がある。向山さんは養鶏業としての経済が成り立つ一定の規模が、前提として周辺環境に負荷を与えない方法論、その指標としての水の存在を視野からはずさない。BMW技術により改善された飲水が、マクロには鶏舎環境、ミクロには鶏の体内環境として生かされる。その結果として、上流も下流も、清らかな水が陶々と流れている。これが黒富士農場の設計思想の根本だ。

次にエサの問題だった。遺伝子組み換え作物が登場し始めた90年代中頃からエサを輸入に頼る構造そのものを問い、向山さんはフィリピンの生産農家との取り組みを行なう。しかしあくまでも輸入の枠内で問題を解決する手法に限界も感じ、その後飼料の国産化、地域自給の模索を開始する。2006年のオーストラリア視察で目の当たりにしたパイオニアハイブリッド社のGM品種“30Y80”の標識。向山さんの語る限界とは、手を尽くした末の結論でもあるが、各地を視察し、肌で感じた世界の情勢のリアルさからも導き出されたのではないか。地域で入手可能な、素性がクリアな飼料原料の確保と応用。また、飼料が鶏の免疫性や、卵の機能性にどのような影響を与えるか。そのためにBMW技術を基本としつつも、積極的に乳酸菌や枯草菌の飼料への応用も摂り入れる。

報告のまとめとして向山さんは、「農業は様々なことを科学しながら学ぶというおもしろさがある。そしてそれだけじゃなくて、土の文化というものも大切なこととしてある。その両方を考えると、最後には国産に結びついてゆくんです」と締めくくった。

mukoyama1.jpg

********************

所感。

養鶏のみならず畜産全体に言えることだが、畜産では生産地は日本でも、エサは輸入に依存があたりまえでこれまで来た。種も欧米の品種がほとんどだ。これは消費者から見てある意味あたりまえのようにも理解され、業界はそのように伝えても来たように思う。こうした中で、自分の食べる肉や卵、牛乳のエサや品種にこだわる消費者はわずかだったと思う。中でも卵は、まず何より「価格」で市場が形成され、次にその「価格」をひとつの基準として、安全性の点でエサの内容や飼い方が取り沙汰されるようになった。しかしながら今日まで、品種の是非は、少なくとも消費者のニーズとして問題化されたことはなかったように思う。

今回の集会、参加者のほとんどは消費者の方々だった。日本の卵の「安全保障」的側面が緊急事態に至っていることを問うものではあったのだが、この集会で報告された様々に敏感に反応した方はどれほどいただろうか? もし種の自給率6%が問題なのだとすれば、消費者だけでなく生産者、業界、マスコミ、国を含めた、これまでの無頓着のツケを、いきなり何も知らない消費者に回しているようで、流通に携わる身としては何か腰の据わりが悪い心地もした。

しかし報告の最後に向山さんが話されたように、最後には国産に行き着くということがある。各方面で養鶏の未来を見据えて先進的な努力がなされてきたことの結果として、やはり国産が大切なのだということを情報開示も含めて提案するのであればどうだろうか? 今回の事例で話された生産者の皆さんは、決して政治的な視点で自給を国産を訴えているのではない。自分たちが生産する商品の、現場の選択肢として自給、国産が最も良いのではないかという提案をし、消費者に理解を求めるために壇に登ったのだ。

この訴えをどう捉えるかは消費者であるはずだ。わずか3千戸の農家の訴えがどんなに切実でも、たとえそれが種の存続という後戻り不能の問題でも、効率、価格という側面だけで卵を選択する構造が変わらなければ、市場原理のなかで淘汰されてしまうのは自然の流れだ。また、こうした問題に関わる生産者、流通は、消費者が選択可能性を視野に、情報のディスクローズについて改めて検討する必要があるとも思われた。


この記事へのコメント

1.Posted by北澤知佐2008-09-30 9:16

パソコンを始めて間もないので、インターネットがこんなに便利なものなんて、このごろ、痛感しています。私は、会田養鶏の卵を利用しているものですが、やはり純国産種の存続は今後私たちが卵を生で食べ続けるには必要な課題だと思っています。しかし、まだ外国系種の卵は価格も安く、一般には、さくら卵は高いイメージがあります。純国産鶏の育種が進み、いろんな養鶏場が卵を生産できる体制になっても、えさを国内で確保できるかという問題もあります。手をかけて作ることは価格に跳ね返ります。卵だけの問題ではないように思います。

この記事にコメントする

名前:
メール:
URL:
コメント:

RadixWebトップページへ

RSS2.0 /  Atom

Copyright 2010 Association of Radix. All rights reserved.