食品部会ブログ

2013/10/01

醸造発酵連続講座・第3回味噌 開催報告

まるゆき味噌を味わっていただくため、
味噌をぬったおにぎり、きゅうりみそ、
お味噌汁をご用意しました。
2013年9月7日(土)、醸造・発酵連続講座第3回目「味噌」を開催。
今回の講師には、全国味噌鑑評会で農林水産大臣賞を2回受賞し、
今年「信州の名工」にも選ばれた、中村醸造場(長野県)の中村元保社長をお招き。
会場は、らでぃっしゅぼーや(株)本社のフリースペースを使い、
まるゆき味噌の試食も交えながら、2時間の勉強会を行いました。


ご挨拶
進行時間を気にしてか、
ご挨拶は早々に終了して本題へ。
ご自宅でお味見いただけるよう、
おみやげ用の味噌も用意。


今回の勉強会は、らでぃっしゅぼーや(株)本社内での開催ということもありスタートはゆっくりめの14:00から。受付は13:30からであったにもかかわらず、みなさん早々に会場へ集結。会場階にお越しいただくには、特定のエレベーターでないと止まらないなどオペラシティビル内での移動がちょっとわかりにくい道順のため、スムーズにお越しいただけるかとスタッフ一同、少々心配だったものの、2回目、3回目のリピート参加という方も多かったためか、大きな混乱もなく、定刻通りの勉強会スタートすることができました。

司会は、今年の9月1日よりRadixの会の事務局長となった沢村が担当。「みなさん、こんにちわ。9月1日にRadixの会の事務局長になったばかりの沢村です」とのご挨拶に、お集まりの皆さまから大きな拍手が。思いがけない、お祝いムードの中で、Radixの会の活動についてご紹介させていただきました。

続いて、今回の主役である、中村醸造場の中村元保社長のプロフィールや受賞歴などをご案内し、早速、本題へと突入です。





中村元保社長の自己紹介
「まるゆき味噌」でおなじみ
長野県・中村醸造場の中村社長。
講演の様子。
話にも自然に熱が入ります。






ピシっとスーツに身を包み、ニコニコ笑顔で登場した中村社長。「こんなに沢山の方にお集まりいただけるとは…。本当に感無量です。ぼくは、もうこれで帰っても心残りはありませんよ」そんなユーモア溢れるご挨拶に会場からは、大きな笑いが。一気に場の空気が和んだところで、自己紹介へ。

「私の名前“元保”ですが、やっと男の子に恵まれたことと、家業をしっかり継いでほしいという願いを込めて“元”を“保つ”という意味で、元保と名付けられたんです」とご自身の名付けの由来を紹介。さらに、中村醸造場の歴史へと話は進みます。「私が家業に入った時は、3ヶ月だけ味噌の加工をして、あとの9ヶ月は農業で生計をたてる兼業農家でした。当時の農家は材料は自分のところにいくらでもあるので、どこもいわゆる“手前味噌”を作っていたのですが、その中でもうちの味噌はおいしかったようで、近所の人に頼まれた味噌だねづくりも行っていました。その時の加工賃、みんな農家ですから、現金じゃなく現物支給なんですね。ということで、現物支給でいただいた大豆を原料に味噌を作りよそよりも多く作っているので、足りなくなった近所の人に譲ったり。でも、店としてやっていたわけではありませんでした。」近所でもおいしいと評判だった、“中村さん家”の味噌。これが、まるゆき味噌の原点だったようです。

名付けからして、家を継ぐという期待を背負った中村社長。ですが、青年期はひたすら野球一筋の少年時代を送ります。「親はいつも忙しいから、私をかまっている暇はありません。地域の野球クラブに預けられて、そこから野球少年まっしぐらでした。野球少年のままで高校生になり、さてこの先どうしようか…となった時、親が大学に行っておけと。」そこで、少し違う世界を見てみようと思い立った中村社長は、改めて自分の家業の素晴らしさを知ることになります。「22歳になるまで、家の味噌しか食べたことがありませんでした。でも、若いころは大豆たんぱくよりも、とにかく肉!動物性たんぱくです。味噌汁は熱いし、作るのは面倒だし、必要ないと思っていました。ありがたみが全く分かっておらず、実家から送られてくる味噌や米は全部友人にあげてしまってました。で、自炊はろくにせず、もっぱら外食。定食屋に行ったりするんですが、定食に必ずついてくる味噌汁が、どこで飲んでも味がしない。美味しくない。よその味噌を食べてはじめて、味噌の味は違うものだと知りました。その時、うちの味噌はおいしい。これは商売になるのかな…と」当時は、大規模スーパー全盛の時代へと突き進んでおり、地域の小売店や小さなメーカーは衰退の一途であったご時世。「不安がなかったといえば嘘になります。そんな中、『たいした宣伝もしないで息子を大学に行かせることができたということは、ちゃんとお客さんが付いているということ。こんな大量生産大量消費の時代は長く続かないから、踏ん張って家の味噌を大切にしなさい』と、ある人に言われ、そして今、本当にそうなった。この道を選んで正解だったと思います」




こだわりの味噌職人の道へ
「信州の名工」にも選ばれた
中村社長。
そして話は、大学卒業後の修行時代へ。「大学卒業後は、信州の味噌の研究機関に籍を置き、味噌作りの基本を学びました。それまでは、味噌というものは、だれでもどこでも、自分の家で作るように作るものだと思ってましたし、味もうちと同じだと思っていました。それが、いろんな味噌作りを見ることで、本当に味噌というのは多彩な作り方があると知ったのです」

「当時は、バブル真っ盛り。3Kという言葉もよく聞かれました。味噌作りはまさに3Kの仕事です。そんな職場に就職しようなんて人は、なかなかいません。昔ながらの製法で手間ひまかけて作るお父さんのやり方はいいけれど、そのうち従業員ナシで奥さんと二人でやる時代が来るかもしれない。だから、機械に変えてもいい部分は変えた方がよいのではという人からの助言もあり、おやじに素直に相談しました。ありがたいことに、中村家を継いでくれれば、商売は任せる。大変な時代になるから、辞めてもいい。好きにしなさい、といってもらえた」

父親の力強く温かい言葉に後押しされ、これまでのやり方に縛られることなく、さまざまなチャレンジをしてきた中村社長。果敢な挑戦の結果、今のまるゆき味噌の命となっている、“白色麹菌”との出会いも果たすことになります。




味噌について学ぶ
中村社長の自己紹介につづいて行われた、味噌に関するレクチャー。基本的な材料、起源、歴史、作り方など、さすが、味噌のプロならではというお話が続きます。

ここでは、ポイントを要約してご紹介します。

<味噌の分布>
日本には、大きく分けると「米味噌」「豆味噌」「麦味噌」があります。一番多いのが「米味噌」で、日本で生産される味噌の約8割にもなり、北は北海道から東北、関東、中部、関西、中国・四国地方まで広がります。色や味はさまざまで、辛口から甘口まで地域色が豊かなのも特徴です。大豆と食塩を主原料とする「豆味噌」は、愛知、三重、岐阜の3県が主要産地。濃厚な旨みと渋みが特徴で、名古屋みそ、八丁味噌などとも呼ばれます。「麦味噌」はもともとは農家で自家用に作っていたものが発展。田舎味噌とも。中国・四国、九州地方で多く見られます。

<味噌の歴史>
味噌は古代中国の“醤(ひしお)”がその起源と言われており、中国あるいは朝鮮半島を得て日本に伝わったと言われます。日本に伝わった後、各地で独自の工夫を凝らしたことで、今日の多彩な日本の味噌文化が誕生。やがて、味噌は重要な栄養補給源を考えられるようになり、それぞれの家で“家族1人につき1斗プラス客に1斗”を目安に各家庭で仕込まれるようになったようです。

<味噌と健康>
江戸時代のことわざには「医者に金を払うよりも、味噌屋に払え」というものがあったように、昔から味噌は健康に役立つ食品として認識されていたようです。事実、味噌の主原料である大豆は、発酵によってアミノ酸やビタミン類が増加。ビタミンB郡やナイアシン、葉酸、カリウム、カルシウム、など多彩な栄養を手軽に取れる優秀食材に。




まるゆき味噌を学ぶ
まるゆき味噌の製造方法から
原材料やこだわりまでが
詰まった手元資料。
箱守麹を作る様子も
写真で紹介。
まるゆき味噌のこだわりを
紹介した新聞広告。
9回の連載記事でした。


そして、今回の主役である、中村醸造場の看板商品「まるゆき味噌」のお話へ。

味噌の主原料となる大豆は、中村醸造場のある須坂から半径25km以内の地域の契約農家によって栽培されたもの。米は須坂および長野県内で農薬を極力使わずに栽培されたもの。そして、塩は沖縄のシママース。国内の原料にこだわって造られる中村醸造場のまるゆき味噌ですが、それ以上にこだわっているのが“麹”です。「まるゆき味噌は、麹にとても特徴があります。箱守麹と言い、浸水した米の水を切り、蒸して、これが蒸しあがったら、長野県で開発された麹菌を付け、ここから平たい木の箱に薄く敷き、床寝せということをします。この作業は“お子守り”と呼んでいますが、様子を見ながら5回繰り返します。最終的には厚さ1cm位の薄い積層にします。麹は発酵する時に発熱します。この熱が上がりすぎると麹がダメになってしまうので、何度も箱を入れ替え、麹が活動しやすい温度を保ちます。ここでミスをすると、味噌の味が変わってしまうので、気が抜けません」中村醸造場で使っている麹菌は、長野県味噌工連でオリジナルに作られたもの。昔懐かしい香りと旨みの強さが特徴ですが、とても気難しい菌なのだそう。大手の味噌メーカーでも手を焼く“暴れん坊”で、100%この麹菌だけで使っているところはなく、中村醸造場でこの麹菌100%で作っていると言うと、必ず驚かれるのだとか。中村社長は、自分の目の行き届く量を、夏場の菌が暴れやすい時期は避けて、ちゃんとコントロールできる時期に仕込むことで、うまくお付き合いしているようです。「人間が住みやすい場所は菌も住みやすい。夏暑く冬寒い、しっかりリズムのある場所がいいんです。中村醸造場のある須坂の標高は、420mでそんなに高いわけではなのですが、周りが山です。長野は山が多いけれど、特に山が近い。近所の人から、お前の家にだけ、霧がかかってたぞと言われる位(笑)この環境に、まるゆき味噌はかなりの部分で支えられているんです。

先代から受け継いできた味噌作りを父から学び、さらに研究所で学んでその技術に磨きをかけた中村社長。自分の味噌を追及しつづけ、信州の名工にも選ばれたその背景には、支えてくれる人の気持ちに応えたいという思いもあったようです。「地元に戻って、さあ、味噌作りをやるぞとなった時、ある人にこう助言をいただいたんです。“お客さんが求めているのは輸入じゃない。今はみんな安い輸入材料を使って大量生産に走っているけれど、君の所くらいなら国産でやりなさい。お客さんもきっとそれを求めているから」と。

長年、まるゆき味噌を支えてくれてきたお客さまの想い、伝統的な味噌作りを守るように助言してくれた人、なにより、先代から受け継いだ味噌作りを守っていきたいという中村社長の気持ち。たくさんの想いに支えられ、まるゆき味噌は今こうやって世に認められる味としての地位を確実に築き続けています。中村社長もこの味噌をもっと広げたいという想いから、丸ゆき味噌の九つのこだわりを集約し、最終的には書籍として出版されています。




まとめ
終了後は参加者の皆さんと
記念撮影。
終了後も参加者からの質問に
丁寧に対応してくださった
中村社長。


「普通、味噌が品切れということはないのですが、うちはそれがあるんです。売り切れたら、次を出荷できるまで待っていただいています。スーパーでも、まるゆき味噌の棚が空っぽの状態で「まるゆき味噌は現在品切れ中です。次回入荷は○○日の予定です」と張り紙をして待ってくださるんです。とても、申し訳ないとは思うのですが、自分がしっかり目をかけて、責任を持って作れる量は決まっているから、それ以上は出せない。無理して量を出して、味が変わってしまったら申し訳が立ちませんからね」と中村社長。

最後に語ってくださったのは、味噌作りに大しての姿勢と信念です。
「私のポリシーは“安心、安全、信頼”です。最近のメーカーさんなら、どこでも安全はやっていますが、それよりも私は安心…つまりお客さまとのつながり、気持ちを大切にしたい。だから、安全の前に安心を持ってきています。そしてやり続けること。自分で責任の持てるものであること。本当は、私が全てを見るのではなく、分業すれば量はもっと作れます。でも、それでは自分が納得できない。量が作れなくても、私の代は、私が目をかけられる範囲でと決めています。そして“感謝”の気持ち。今現在の中村醸造場とまるゆき味噌があるのは、お客様がいて、出会う中でいろいろ助言をしてくれる人がいて、この味噌の命でもある麹菌があったからです。慢心してピノキオのように鼻が伸びてしまわないよう、感謝の気持ちを忘れず、平常心でやっていきたいと思っています」と締めくくられた中村社長の言葉に、会場からは惜しみない拍手が沸き起こりました。


(報告:Radixの会事務局 田中)

2013/10/01

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