【農産】の最近の記事

農産

澤浦彰治/野菜くらぶ

2009-09-07

こんにちは Radixの会副会長 野菜くらぶの澤浦彰治です!



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  ㈱野菜くらぶは平成4年に3人の農業後継者が集まってつくりました。丁度らでぃっしゅぼーやさんが創業5周年で野菜の直接仕入を始めるときでした。

  野菜に先駆けてこんにゃくの無農薬栽培に成功して加工品の導入が決まり、蒟蒻の圃場確認に来たときに、当時のらでぃっしゅぼーやの担当者が高原野菜の産地で沢山の野菜が生産されている風景を見て、無農薬野菜も栽培できないか?という問いかけを私達にしました。 
そこから私達の活動が始まったのです。

  私は10人くらいの仲間に声をかけたのですが、結果的に集まったのが4人で一人はすでに無農薬に取り組んで別のところへ販売をしていて、3人でのスタートでした。
  「野菜くらぶ」という社名も、創業5周年記念集会に行く時の車中、3人で話して決まった名前で、その集会の時が名前のお披露目でした。
  私達野菜くらぶはらでぃっしゅさんとの出会いから始まった生産者団体なのです。

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  それから仲間が徐々に増えてきて、現在では50人を超える生産者団体になりました。
  生産者の中には元々らでぃっしゅぼーやの創業当時の会員さんの息子が農業で独立して、青森でレタスを栽培している人もいて、食べる人との距離がとても近くなったと感じています。

  農業は毎年同じ条件で栽培できるという年はありません。その為に毎年が一年生のような職業です。一生の内で40回から多くても50回しか農業は出来ない職業でもあります。その為に長年の経験と伝統がとても大切な職業だと感じています。
  夏のレタスが得意な人でも全く違う冬のレタス産地に行ったら素人と同じになってしまうのです。その土地の気候風土を理解してそこに長年住み、漸く農業の面白さがわかりその人の力が発揮できる職業なのです。

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  野菜くらぶは毎年、8月の終わりに暑気払いを生産者全員で行っています。今年も例年のように結婚式場で行われ、100人近くの家族と子供達が集まって前半の農作業を労いました。
  創業当時はメンバーがまだ20歳代だったために乳飲み子も居て、小さな子供から大人までいてにぎやかでした。
  そして今年創業から17年が過ぎ、創業メンバーは45歳になったのですが、その当時のように今年も乳飲み子を抱いた若い夫婦の人たちが参加していました。振り返ったらこの17年間小さな子供のいない暑気払い会は無かったと気づき、あらためて私達がやってきた有機農業が正しかったと感じると共に、沢山の良いお客様に恵まれたことに心より感謝をしました。

  農業の現場にいると地球温暖化を肌で感じることが多く、今後の食料の安定供給についても不安を抱えるところがあります。
  又、有機農業を進めていく中で気候変化に伴う技術の蓄積も急務になっています。そのように色々な不安定要素が沢山ある中で、らでぃっしゅぼーやの会員さんが私達の農産物を食べていただくことで、私達はとっても勇気づけられると同時に、後継者を育てられる農業が実現しつつあると感じています。

  これからも美味しい野菜を安定的に届けられるように畑に通いたいと思います。今後ともよろしく御願いします。

農産

上村茂則/水の子会

2009-09-01

こんにちは Radixの会理事(農産部会) 水の子会の上村茂則です!

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熊本、水の子会の上村です。

『早、30年が過ぎました』 
私たちの住む熊本県八代(やつしろ)は、水俣病で知られる県の最南端水俣市まで約一時間。
私はその水俣で今から32年前胎児性水俣病の子供たちと出会い、それが私の人生を大きく転換することになりました。

『言葉では言い表せないその悲惨さ』
人はみな健康に産まれてくることが当たり前だと思っていますが、何も知らないまま障害を背負ってこの世に誕生し、生涯その苦しみを背負って生きていかなければならない宿命を持って産まれてしまったのが胎児性の水俣病の子供たちなのです。
しかも当時彼らには社会の理解もなく不自由な体と共に偏見や、差別を受けたりと今では考えられない悲惨な生活を強いられていたのです。

『原因は人々の便利で快適な暮らしを求めるあくなき欲求から』
水俣病はチッソと言う会社が海に流した有機水銀が直接の原因だと言われていますが、もっと深く当時の社会を見てみると日本は敗戦から立ち直り戦後復興から高度成長期の転換点にあたり先進国に追いつけ追い越せの旗印の下、国家経済の優先と国民所得の向上にすべてが傾注され三種の神器や文明の利器と言う便利、快適な生活を謳った言葉がもてはやされていたのです。

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『元は家庭生活にあり』
私たち水の子会は同じ過ちを二度と繰り返してはいけない、この教訓を生かそうと立ち上がりました。
水俣病は海の汚染から始まりました。
私たちは目の前を流れていく川がやがては海に注ぐことはだれでも知っています。しかし汚いもの、汚れたものを川に捨てそれが下流へ流れてきれいな水が上流から流れてくれば前に捨てたものがそのまま海に流れて海が汚れていくことは意外と簡単に忘れてしまうものです。
そのことが水俣病を引き起こしやがて第二、第三の水俣病が世界各地に引き起こされた原因ではないでしょうか。
私たちはその教訓から、川や海を汚染しないよう有機農業の前にまず家庭生活からと石鹸運動に取り組み、水の子会は石鹸を使うことを会員の資格とし三十年たった今も変わることなく続いています。

『私たちの選択、水俣病再び?』
私はゴミを拾う行為それこそが大きな環境運動だと思っています。
今や人類は温暖化というとてつもない脅威に直面しています。
地球の温度を下げるとなると、とても私たち一市民の手に負えるものではありません。
しかし温暖化防止に役立つことは家庭生活でも農業でもその気になれば誰にでもできることがあるはずです。
目の前のゴミを拾うか拾わないかと同じように、ささいなことでも自分のこととしてみんなで取り組めば大きな一歩になるでしょう。なぜなら自然の恩恵の中でしか生きていけないことは誰でも知っているし、破壊された自然の脅威がどういうものか、もう二度と水俣病を経験してはいけないのです。
命をはぐくむ豊かな自然、きれいな水、豊饒の海、私たちが幼き頃遊んだこの当たり前の自然を次の世代にも味あわせたいものです。

農産

菅野義則/麓郷生産組合

2009-07-20

こんにちは Radixの会理事(農産部会) 麓郷生産組合の菅野義則です!

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麓郷生産組合の菅野義則です。

我々の組合は富良野市より東部方面へ約15kmほど山間に入った所に位置し海抜は400m以上、冬はマイナス20℃以下、夏はプラス30℃以上にもなり一年を通して激しい気温の差の中で暮らしております。
組合員戸数は4戸で主にホウレン草、玉葱、じゃがいも、カボチャ、アスパラ等で、
らでぃっしゅぼーやさんと取引をさせてもらっており、平成13年に取得した有機JAS圃場にて全作物を栽培しております。

組合となるまでを少し振り返りますと、約20年前に「土作り」を目的として後継者仲間十数人と「土壌活性化研究会」と妙に堅苦しい会として発足しましたが実態は集まっては飲んで騒いでいた方が多かったかもしれません。
活動としては仲間の圃場視察、土壌検査を基とした微量要素による土作りやエーザイ生科研の中嶋先生の講演会へ参加したりと、それなりに一生懸命に取り組んでいました。
「食べた人が健康になる野菜」を目指していましたから、必然的に農薬や化学肥料や除草剤等は使用しなくなり、せっかくこだわって作った野菜は理解ある消費者に食べてもらいたいと気持ちも大きくなった訳です。

その頃は東京へは高校の修学旅行でしか行ったことがなく、ましてや飛行機に乗るのもほとんど初めてのあり様でしたから、無い金はたいて知り合いについて東京の消費者に会いに行きました。
しかし、なかなか消費者と会話が弾まないし何を話していいかわからない(今では想像もつかないと思いますが)で困り果てた事を思い出します。

冬の東京で取引先の手伝いという事で軽トラックに野菜を積んで団地に売りに出掛けまして、その日はめずらしく東京は早朝から大雪で軽トラックを押しながらで、皮靴はベチャベチャになり疲れ果てたところへ一緒に行った店の人に「菅野さん自己紹介して!」と拡声器を渡されたので団地に向かい大きな声で「エーッ北海道は富良野から来た玉葱生産者の菅野でございます!!!少々見たくれは悪いですが味は・・・」

ドサッ、ドサッ。
何と軽トラックの横で叫んでいた私の頭に電柱の雪の塊が落ちてきたのでした。それを見て団地の奥様が「本当に大変ねぇ」と声を掛けてくださった一言が今でも忘れられませんね。
あとは消費者との交流会に出席したときの事。
「いつもおいしい野菜をありがとうございます」と小さな子供から感謝状を頂いたときは、地元での色々な事が思い出され胸が熱くなりました。
自分たちの応援団はこんなに沢山いたんだなぁと。


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これからは今までの経験を生かし土作りの大切さ、自然の大切さ、命の大切さ、そして「食べた人が健康になる」野菜作りを提案していきたいですね。

Radixの会にはこだわりをもった生産者を育てていただきたいですね。
自分も農業を目指したい人がいれば受け入れていきたいし、富良野へ行きたい人がいれば受け入れていきたいと思います。

これからは、食糧を育てられる土地と、きれいな水が溢れている所に住むのが一番ですよ。

農産

森﨑秀峰/らでぃっしゅぼーや株式会社

2009-06-29

Radix 役員Voice 特別会員理事 森﨑秀峰

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農業に従事したいと思い、らでぃっしゅぼーやに入って15年目。
ほぼ、農産に携わる仕事1筋でやってきましたが、まだまだ日々勉強だと思っています。神奈川、大阪のピッキング現場では、多くのパートさんたち、そして生産者の皆さんに勉強させていただきました。仕入れの部署では、引き続き生産者の皆さんに勉強させていただく毎日が続いています。

いよいよ、農業生産事業にも進出して、入社前の夢が、現実の仕事、壁として目の前に立ちはだかってきました。

農業経営においては、理念技術経営の3つの柱が必要になり、
どれかだけが突出していても、継続しての運営はできません。
その中で、Radixの会、らでぃっしゅぼーやとしては、理念、技術の順で皆さんと共有、そして高めあってきました。
これからは、もうひとつの柱である経営の部分も高めあっていく必要があると考え、昨年の経営勉強会を開催しました。

経営と聞くと、昨今の資本主義の終焉のように、悪い響きのほうが大きいように思えたりもしますが、決してそんなことはなく、変化する環境の中で、どのようにしていくか、継続して農業を続けていくのか、それは金銭面であったり、法律面であったりと、多面的に考える必要があるということだと思います。
進化論を唱えたチャールズ・ロバート・ダーウィンの格言に以下のものが
あります。

「最も強い者が生き残るのではなく、

最も賢い者が生き延びるでもない。

唯一生き残るのは、変化できる者である」

理念を変える必要はなく、経営手法を変えること脈々とつながる命をつなぐ食を提供する技術を継続していくことができる思います。
Radixの会には、若手の生産者が多くいます。(私もまだ若手です!)
私たちの手で、日本の食を支えていけるように、3つの柱を、より太いものにしていきたいと思います。

農産

宮楠仁之/(農)紀の芽の会

2009-05-22

こんにちは。紀の芽の会の宮楠仁之です。

みなさん、こんにちは。
(農)紀の芽の会の代表をしております宮楠仁之(ミヤグスヒトシ)です。

           宮楠さん写真

ところで、皆さんは紀の芽の会が何処にあるかご存知ですか?
紀の芽の会の紀は紀州の紀。和歌山県です。

この和歌山県の北部に紀の川があります。
紀の川沿いに事務所を構えて13農家で果樹、野菜を栽培しております。
『紀ノ川』『複合汚染』『華岡青洲の妻』などで知られる作家 有吉佐和子、
パナソニック創始者 松下幸之助の生誕の地などが有名です。
また、すこし足を伸ばせばあの世界遺産の高野山金剛峰寺もある自然豊かなところです。

我々は、気候、風土に恵まれ太陽の光をいっぱい浴びた果物や野菜を『安心、安全、そしてミネラル豊富で美味しい農産物を生産する環境保全型農業』を基本理念に生産活動しています。

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あまり堅苦しい話もなんなんで、ちょっと自己紹介も含めてざっくばらんに書いてみます。
私は、和歌山で農業をしているわけですが、もともとは静岡県出身なので関西に来て驚いたことがいっぱいありました。

地元の農協に出荷するようになり、農家のおっちゃん達と一服しに喫茶店にはいると、皆揃って「レイコー」と注文。
「レイコー?」
なんだそれって感じ。

これなんと『冷コー』らしい。つまりアイスコーヒーのこと。
皆さん知ってましたか?これにはびっくりしました。
若者も皆こんな言い方をするらしい。関西だなぁ~。

そしてもう一つ。
「まいど!」と言うあいさつ。
はじめ、この言葉を言うのがなんともしっくりこなくて、とっても戸惑いました。
しかし、この言葉大変すばらしいのです。
「はじめまして」「こんにちは」「久しぶり」『お世話になります』「いっらっしゃいませ」などなど・・。意味は数しれません。
人にあったときはまず「まいど!」、これで一気に打ち解けますよ。
ぜひ、関西にお越しの際は使ってみてください。
「まいど!」。

まぁ、おしゃべりはこれくらいにして、そんなこんなで、和歌山で農業を始めて12年。Radixの会役員という役を務めさせてもらっている現在、水産、畜産、加工など普段自分がなかなかお付き合いのすることがない方々のお話を聞くことができて自分の農産活動にも大変プラスになっています。
Radixの会とはやはり、他にはないすばらしい情報交換機能をもった集まりであると実感しています。みなさんももっともっとRadix活動に参加していただき、これからの日本農業を盛り上げていきましょう。

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